このページでは「私が常に行っている技術作業」について3点をご紹介を致します。
出来ましたら今ここで、お持ちの印鑑の中で気になるものを1つ取り出して頂いて、
ご覧になりながらお読み頂くと新たな発見があるかもしれません。
〜手彫りと機械彫り〜
まず1点目と致しまして定番の手彫りと機械彫りの違いについてお話し致します。
下の二つの印影を比較してみてください。
どちらも印相体で「下田文代」と彫刻してあります。
印影1
印影2
いかがでしょうか?
印影1は私が彫ったもので、印影2は機械が彫ったものです。
印影1に比較して印影2は「か細く」「カクカク」した印象があります。
文字の太さは、その画数によって適切な太さがあります。
画数が少なければ太くし、画数が多くなるに従って細くします。
画数が多いのに太くすると文字がつぶれてしまいますから、機械彫りは無難に細く設定してしまうことが多いです。
そのために画数が少ない文字を彫ると「か細く」なってしまうわけです。
彫刻ロボットに入っている文字は繊細な曲線を使いません。
繊細な曲線は上下左右に入る隣の文字とのバランスで決定されるからです。
キーボートを打つだけで、予め用意された文字が入るロボットでは行えないのです。
繊細な曲線は情報量が多く扱いにくいという点もあります。
そのためにロボット彫刻では水平や垂直の直線が目立つ文字になります。
手作業で行う場合には当たり前にこなすことが、自動彫刻の世界では大きな壁になるのです。
当店の彫刻工程に関するご説明
〜細部に渡るこだわりと表現力〜
2点目では、「手彫り」という点を更に掘り下げてお話しをしようかと思います。
手彫りであっても、というより手彫りだからこそ仕上がりに技術力の差が歴然と現れます。
技術を持ったお店であっても十分な時間と手間をかけて仕上げているかが大変重要になります。
高いレベルの仕上がりを維持するには絶対的な製作時間が必要であり、
1日に仕上がる数量は極少ないのが実情です。
限界へ挑む技術展へ出品する作品などには1点に数十日も費やすのはそのためです。
この製作本数を無理に増やそうとすれば、いくら高い技術を持った職人であっても
仕上がり時の品質低下はハッキリと出るのです。
こうした観点で細部に注目をすると時間をかけて職人が仕掛けた仕組みが見えてきます。
印鑑は以下3つの工程を経て完成します。
「字入れ(文字を書く)」→「粗彫り(大まかに彫り込む)」→「仕上げ(文字を完成させる)」
ここでは、15ミリ丸に「事」という文字を横に2文字並べて粗彫りまでを施してみます。
書体は2文字を分けてご覧頂きやすい篆書体を選びました。
後ほど理解を深めて頂くために意図的に良く形を揃えて整った2文字を作ります。
こんな状態になりました。
「別にこのままでも十分問題ないんじゃない?」とお思いになるかもしれませんね。笑
でも少し見ていて下さい。この似通った2文字がどう変わっていくのかに注目です。
さて、これからこの2文字に仕上げを施します。
左側には故意に簡単で粗雑な仕上げを施し、
右側には時間をかけた入念な仕上げを施します。
私たち職人は「仕上げ次第で文字の印象を大きく変えられる」ことを知っています。
「文字を生かすも殺すも仕上げ次第」ということです。
職人が技術を身につける現場では、見習いは字入れの終わった印材を渡され粗彫りから始めます。
その後多くの経験を積み、文字の形を学んだ末に仕上げの仕事を任されるようになります。
私が修行をした工房では「仕上げ試験」なる昇進テストがありました。
合格した者だけが仕上げの作業を任されるようになり、落第すると粗彫り作業を続けることになります。
このテストは年にたったの一度限り。
落第すれば最低一年は粗彫り生活が続き、ともすると腕の良い後輩に追い抜かれることもあるのです。
…ちょっとお話が脱線しましたね。汗
それでは、先程の結果をご覧下さい。
いかがでしょうか。
同じような印象で揃っていた2文字がこんなに異なる形の文字になりました。
左側は不安定ですっきりしない印象に対して、右側はシャープで美しく安定感があります。
どこがどう変わってしまったのでしょうか。
この違いを分かり易くするために先程粗彫りをした印影と重ね合わせてみます。
ここでは粗彫りの印影を赤色、仕上がった印影を黒色にしています。
赤い部分が仕上げで削り込んだ部分としてあぶり出されています。
注目すべき大きなポイントが2つあります。
それは「線の交わる箇所での正確さ」とそして「各線の反りと太さの変化」です。
「線の交わる箇所での正確さ」
事の中央の縦線が6本の横線を縦断していく部分で顕著に表れています。
左の文字は横線が交わる度に太さや方向が曖昧になっています。
対して右の文字では横線を何本縦断してもブレることなく真っ直ぐと下へ降りて行きます。
こうした部分は縦線のみならず横線も含めて線が交わる全てのところに現れています。
「各線の反りと太さの変化」
左の文字の各線が不揃いで歪なのに対して、右の文字では一貫性のある反りが表現されています。
右の文字は線により反り方も変化をし、同じ一本の線でも上の輪郭線と下の輪郭線で反り方が異なっています。
それに添うように線の太さも随時変化をしています。
それに比べて左の文字は太さの変化に繋がりがなく、一貫性を感じる反りもありません。
繊細な部分なので良く観察しないと気づくことはないかもしれません。
しかし、この繊細な違いがいくつも重なり合うことで文字の表情を生き生きとさせるのです。
「文字を生かすも殺すも仕上げ次第」という意味がお分かり頂けるかと思います。
この表現法は文字の起源から受け継がれ来ています。
「篆書体を筆で描いた場合の線の動き」これが繊細な表現のモデルとなっているのです。
だからこそ、生き生きと流れるような美しさを感じるわけです。
このことは印相体や古印体、そして隷書体など他の全ての書体にも言えます。
こうした繊細な仕上げの要所では10分の1ミリの歪みも見逃さない精度が求められます。
最終段階では捺印をし、印影で確認をしながら不完全な部分を削り込んで行きます。
そんな作業を何度も繰り返しながら時間をかけて理想の形へと追い込んで行くのです。
〜ここがバランスの要〜
最後の3点目は、文字のバランスを見てみましょう。
印鑑は彫ることだけが重要な技術ではありません。
私たちは彫刻の作業に入る前に印稿という印鑑が出来上がった状態をイメージした原稿を書きます。
これは、文字一字一字の大きさや形を決め全体に調和のとれた美しい仕上がりにするためです。
この段階で、文字の調和がうまくいっていないと
いくら上記の2点できちんとした作業を行っていても格好の悪い印鑑になってしまいます。
では、文字の調和とはどういう事なのかを分かり易くご説明しましょう。
例1
例2
この2例(共に「二藤」と入っています)をご覧になって何かお気づきでしょうか?
例1は例2に比べて「二」の字が大きく、下にさがった感じがしますね。
実は例1の二藤は「二」「藤」それぞれの文字の大きさが全く同じにしてあります。
(文字の左右にある赤線が上下のセンターラインです)
それに比較して例2では「二」を少し小さめに逆に「藤」は少し大きめにしてあります。
ここでのポイントは同じ大きさの2つの文字を比べた場合に
「画数の少ない文字は大きく、画数の多い文字は小さくみえる」という事です。
つまり「画数の少ない字は小さめに」「画数の多い文字は大きめに」することで、
調和がとれた美しい仕上がりになるのです。
しかし、残念ながら各文字の間に画数の差があるにもかかわらず、
この「文字の大きさを変化させる」という作業を行わないで
方眼で仕切ったように同じ大きさの文字を並べるだけの配置をしている印鑑をよく見かけます。
以上の3点が私からのお話しとなります。
これらの綿密な作業が偽造などの危険からあなたをしっかりと守っています。
これであなたも、なかなかの「はんこ屋泣かせの目」をお持ちになりましたね。
印鑑のお話しを続けます